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すっかり・・・
もう存在自体を忘れてたよね。
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ソニーのゆがみ―組織文化の視点から―
ソニーは医療事業に本格参入するようだ。

両社は提携によって、医療やデジタルカメラなどの分野での相乗効果が得られるとみている。オリンパスは内視鏡で世界シェアの約7割を占め、ソニーは画像処理用の半導体で高い技術力を持っている。両社の技術を融合し、成長事業である医療分野で優位に立ちたい考え。
産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120622/biz12062210340008-n1.htm

これはソニーにとって終わりの始まりなのかもしれない。確かに医療という成長事業に投資するのは産業の将来性を考えると良い選択なのかもしれない。しかしソニーにとって医療事業に参入するのは本当に正しい選択なのだろうか?組織文化という観点で考えてみよう。

ソニーはテレビや音楽、映画やゲームなどエンターテインメントを軸に事業を拡大してきた。もちろん電池や保険などもやってきてはいたが、あくまで主軸はエンターテインメントであり、ヒトのライフスタイルをもっと楽しくするようなものをつくってきた。であるがゆえにソニーではエンターテインメントの会社が人の命にかかわるようなものはつくれないという文化が育まれてきた。例えば週刊東洋経済の以下の記事がそのことの象徴ともいえる逸話であろう。

自動車用電池において、ソニーは圧倒的な先行者となるチャンスが2度あった。1度目は91年。日産自動車との共同開発で、95年には試作車を造るまでにこぎ着けている。二度目は、ホンダとのパートナーシップだ。

 ホンダ側がソニーの高い技術力にほれ込む形で95年に始まり、NDA(秘密保持契約)を結んだうえで自動車用電池の調査を手掛けた。ソニー、ホンダの内部でもほとんど知られていない秘話である。

 だが両社との関係を98年、ソニーは自ら終止符を打った。元ホンダの技術者は、最後に会ったソニー技術者の言葉を今も覚えている。「人命にかかわる事業はやらない。そう経営トップが判断しました」。

東洋経済新報社
http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/63db93223ed1b8b4cfb8fe717f163024/page/4/

たとえどんなに将来性があり、莫大な収益が生み出せるような話であっても、自分たちの本分でないことに投資はできないという強い文化が感じられる出来事である。この頃のソニーは「ソニーらしい」商品で世の中に価値あるものを提供していた時代であった。そしてこれ以降の00年代からはいわばソニーらしさが失われたと批判を浴びる時期になっていく。このホンダとのパートナーシップの話がソニーにとって最後のソニーらしい出来事であったのかもしれない。

つまるところ、その会社らしいものを作るための条件は、その会社の文化が反映されていることであるのかもしれない。上のソニーの事例をみても、自由で愉快なモノづくりができないような事業に対してはどんなに将来性が見込めても手を出さないという姿勢がソニーらしさにつながっていっていたと考えられる。組織文化というものはその組織の世界の見方・考え方であり、世界観ともいえるものである。そのことから考えても強い組織文化をもっているということは他とは違う世界観をもっているということであり、そういった組織文化をもってモノを企画することで他にはないその組織らしいモノが作れるのだろう。

かつてのソニーにはそれがあった。しかし今のソニーにはソニーの組織文化から外れた医療事業に参入しひと儲けを企んでいるという現状だ。組織文化という観点からは医療という世界ではソニーらしいものづくりは難しい。ゆえに今回のこの参入は短期的に資金を稼ぐという意味では有効なのかもしれないが、長期的にはソニーの組織文化を劣化させかねない選択でありおよそ評価できるものではない。よって私はこの選択は反対であり、ソニーは緩やかにその力を失っていくであろうと予想する。

日本人?地球人?
日本人が、とか、日本人として、とかこういった表現は今やかえって世の中の見方を歪めてしまうのかもしれない。

戦後であれば日本人という考え方は重要だった。日本が敗戦し、経済的にも精神的にも破綻してしまった状態であった頃は、国家の再生であるとか世界を見返してやろうとか、こういった行動を起こす上で日本人としてどう生きるかという考えは有効である。

しかし現状を見ると、我々が直面している問題は日本人がどうのこうので解決できる問題ではない。地球環境問題、資源問題、格差問題、世界同時不況。こういった問題は日本人単独で解決するにはあまりにも規模が大きい。日本人が、というよりも、地球人が、という視点で考えていかなければ近視眼的な解決方法しか編み出せず、根本的な解決は望めない。

なぜ坂本龍馬が偉大であったかというと、当時日本人の多くが長州藩だとか薩摩藩だとか、藩をベースにした世界観で生きていたのに対し、坂本龍馬は世界の中の日本という視点で世の中を見ていた。だからこそ彼の行動というのは型破りであり斬新な発想が可能になったのであろう。

以上の理由から、これからは日本人という世界観をベースにするのではなく、地球人というプラネットベースの世界観を我々は共有していかなければならないと考える。それが無理であっても、最低限アジア人、欧州人といったリージョンベースの世界観くらいは共有できなければ、今世の中が抱えている問題を根本的に解決することは難しいだろう。

住み分けの基準
今度から長々と言いたいことはブログに書くことにします。
短いつぶやきレベルのことはTwitterやFacebookで携帯から投稿します。
長々と書くときにはブログの方が楽。

月日がたつのは早いですな。

冬が終わり、春が来て、GWもきて、どっちも終わって、梅雨がきて、・・・。

TwitterやFacebookに手を出していたらブログが疎かになり、気付けば変な自動広告が出てくるようになってしまった。雑草は抜いておかなければ、と思いつつも、必要なのは登場するメディアの整理なのかもしれない。



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