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技術史と、技術の価値 Part1.
世界史などで初期に学習することに、洞窟壁画があります。
ヒトが壁画を描くということは、人類史上の偉大な進歩の一つです。
人類史上初めて頭の中にある情報を外部保存したのですから。それも長期保存可能な形で。

記録技術の進歩の始まりは、壁画を描くということから始まったのかもしれません。

絵を描くことから始まり、それに続いて、文字が生まれ(といっても文字が生まれるまでには2万年近くかかっているが)、今度は粘土板のような絵や文字を記録する記録媒体が生まれ、・・・。

2世紀ごろになると、中国で紙が発明され、文字記録の実用化が果たされました。
15世紀後半には、グーテンベルグの活版印刷技術により、大量印刷が可能な印刷システムが生まれ、情報伝播の速度が飛躍的に向上しました。

20世紀には、パソコンが一般家庭レベルまで普及し、インターネットの普及もあいまって、いつでも、どこでも、どこまでも、情報のやり取りを一瞬で行えるようになりました。

記録技術の歴史を辿ってみましたが、その始まりは壁画であり、その後、文字に次いで、最も大きな進歩といえるのがグーテンベルグの活版印刷技術であるといわれています。

なぜ、活版印刷技術が他の発明に比べて偉大視されるのか。

(つづく)

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米百俵をどう使うか
危機に直面すると、人も組織もついつい近視眼的思考に陥ってしまいがちになります。
かくいう僕も、困難に直面すると、ついつい手っ取り早い解決策に飛びついてしまうことが多くなってしまいます。
でも、短期的な利益で動くと、往々にして長期的には損をする。
長い目で見て自分はどういう意思決定をするべきなのか、そういう長期的な観点を持って生きていきたいものです。

今日はそういう長期的観点に立って意思決定をすることの重要性を説いた実話を紹介したいと思います。
最近思い出した話で、それはそれはたいへんためになる話なので、書かずにはいられず、記事にしてしまいました。
有名な話なので、知っている人も多いかもしれません(確か小泉純一郎が演説で引用した話だった気がする)。
まぁ、知っていても、付き合ってちょうだいな。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
昔々、長岡藩という地域がありました。
長岡藩は戊辰戦争という大きな戦争に負け、藩の人々は飢えに苦しんでいました。
それを憐れんだ三根山藩は米百俵を長岡藩に送りました。
もちろん、長岡藩の人々は大喜びです。
これで人々が飢えから救われる、そう思ってこの米俵を早速人々に分け与えようとしました。
ところが、これに「待った」をかけた人がいたのです。
長岡藩大参事、小林虎三郎です。
虎三郎は言いました。
「確かに、米百俵を人々に与えれば、今、飢えで苦しんでいる人は救えるかもしれない。
しかし、そんなことに使ってしまえば、二,三日で米百俵は底をついてしまう。
今苦しむ人は救えても、我々の子孫を救うことはできなくなってしまうのだ。
今、長岡は滅亡の危機に瀕している。
限りある資源を有効に使わなければ、長岡は滅んでしまう。
では、そうならないためにはどうすればよいか。
人だ。
何よりも人財をつくれ。民度の高さは、ただ一つ、教育にあり。
そのために、この米百俵を基金として、学校を作ろうではないか」
この言葉を聞いた藩士たちは、当然、猛反発。
目の前で苦しんでいる人を見捨ててはおけなかったのでしょう。
しかし、虎三郎は頑なに藩士の意見を拒み、結局、論争の末、藩士たちが折れ、米百俵は学校のために
使われることになりました。
こうしてできたのが、国漢学校です。
この国漢学校からは、後に、山本五十六のような優秀な人財が多数輩出されるようになりました。
彼らの活躍で、長岡藩は人財輩出の地としてその名が日本中に轟くようになりました。
こうして、長岡藩は滅亡の危機を免れ、発展の途につくことになりました。
このことから、虎三郎の視座、手腕が称賛され、このお話は、「米百俵」として、人々の間で語り継がれるようになったとさ。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

ちなみに小林虎三郎は佐久間象山の弟子。
つまり、吉田松陰と同門。




私の好きな日本人
↑同名の新書を石原慎太郎が出していますが、それとは無関係な記事です。
でも、慎ちゃんの本も面白いので、一応のっけておきます。

私の好きな日本人 (幻冬舎新書ゴールド)私の好きな日本人 (幻冬舎新書ゴールド)
(2009/06)
石原 慎太郎

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上の本はさておき、私の好きな日本人シリーズをはじめたいと思います(ワァー。ヤンヤ、ヤンヤ)。

このシリーズでは、タイトルの通り、僕の好きな日本人を次から次へと紹介していきます。
でも、紹介する日本人のたいていは有名人ばかりなので、あまり斬新さはないかも。

予定としては、
第1回、勝海舟
第2回、小林秀雄
第3回、吉田松陰
第4回、斎藤道三
第5回、内村鑑三
第6回、福澤諭吉

という感じ。
紹介する順番ぐらい時系列に並べろよ、という指摘がありそうですが、気にしない。
書きたい順に並べているだけなんで。

さて、じゃあ早速、勝海舟!
といきたいところですが、時間が無いので、初回はまた今度書きます。
最近、時間に追われている気が・・・。
時間は使うものであって、使われてはならないのに・・・。

龍馬伝と幕末 Part2
今日は、岡田以蔵について書こうと思います。

岡田以蔵は土佐勤王党の志士で、人斬り以蔵、として恐れられた人物です。
しかし以蔵は学問に疎かったため、佐幕だとか、尊王攘夷だとか、そういったことについてはほとんど知らなかったようです。
そのため、ただ、ただ、師匠の武市半平太の指示にしたがって暗殺を遂行する、いわばターミネーターのような存在であったといわれています。
最終的に、以蔵は吉田東洋暗殺の罪を問われて捕らえられます。
以蔵の捕縛以前から捕らえられていた武市ら勤王党のメンバーは、自分たちが行った吉田東洋暗殺の罪を問われても、ひたすら黙秘を貫いていました。
そんな折、教養の無い以蔵も捕らえられたため、以蔵が自白するのではないか、と恐れた武市らは、監獄内のネットワークを駆使して、以蔵の毒殺を図ります。
ところが、以蔵にはなぜか毒が効かず、結局以蔵は全てを幕吏に自白し、以蔵は処刑されてしまいました。
以蔵の自白によって、吉田東洋暗殺犯の全貌が明らかになったため、武市ら勤王党も切腹や斬首の刑に処せられました。

ここで考えてみたいのは、以蔵は歴史の被害者か否かということです。
以蔵のような、ただの暗殺の道具つまりターミネーターとして武市のような過激派に利用されてしまった以蔵の顛末を、自己責任ととるか、それとも時代に翻弄された被害者と見るか。

僕は被害者と見ます。
当時の時代背景から考えれば、足軽であった以蔵が学問をする機会を得ることが出来なかったのは無理がありません。
というよりも、そもそも学問の重要性を知る機会すらなかったでしょう。
そのため、以蔵は勤王党が日本の思想の中でどのような位置づけの組織であったのかを知ることすらできませんでした。
しかし、独自に身に付けた剣の腕は、時代を代表するほどのものであったため、それを武市に利用されてしまいます。

以蔵は勤王党のメンバーの中でも特に身分が低く、学問も無いため、勤王党内で繰り広げられていた議論に全く理解できず、勤王党が何をしているのかがわかりません。
それでも勤王党から脱退しなかったのは、自分の価値を認めてくれる武市がいたからであるとされています。
多くの人が自分をさげすむ中、自分を高く買ってくれる人がいる、そんな組織があれば、その組織に居ついてしまうのも無理はありません。

これ、もう以蔵にはどうしようもない運命といえるでしょう。
これを自己責任とするのはあまりにもむごいのではないでしょうか。

悔いるとすれば、宮本武蔵に憧れて、人並みはずれた剣道修行をしたことではないでしょうか。
剣の腕が立たなければ、そもそも武市は目をつけなかったでしょうからね。
もっとも、そうなると以蔵は一生足軽として虐げられる立場に終わってしまうんですけどね。

総括すると、これは、学の無いことが招いた悲劇。社会システムの弊害が招いた悲劇。
それこそ、前に紹介した村上春樹のスピーチですね。
壁と卵。
階級という社会システムの壁にぶつかって、割れてしまった岡田以蔵という卵。

彼に比べると僕らは相当恵まれています。
だから、、、、、、勉強しよっと。

人斬り以蔵 (新潮文庫)人斬り以蔵 (新潮文庫)
(1969/12)
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正岡子規ぞな、もし。
昨年末、NHKドラマで『坂の上の雲』が放映されていましたね。

今日はその『坂の上の雲』について書きたいと思います。

『坂の上の雲』は、明治時代に諸外国に追いつき追い越そうと努力してきた日本人を描くことで、明治という時代がいかなる時代であったかを浮かび上がらせた群像小説です。
当時最強と言われたコサック騎兵団を破った秋山好古、世界最強のバルチック艦隊を破った秋山真之、病床につきながらも創作活動を続けた正岡子規、司馬遼太郎からボロクソに言われる乃木希典など、数多くの人物が描かれています。

その中で、僕が一番好きな人物が正岡子規です。
子規は、俳句に革新を起こし、日本の近代文学に大きく貢献した人物です。
ヨーロッパの自然主義に強く影響を受けた子規は、レトリックを強く多用する俳句を否定し、人物や風景をありのままに表現する写生主義を尊重することで、近代文学における新たな方向性を見出しました。
そんな子規ですが、彼は結核に感染してしまい、病の床に臥してしまいます。
そして、それ以降の子規の生き方こそ、僕が子規を好きになった所以です。

彼は血を吐きながらも創作し続けます。
病に臥せている以上、自由に動き回ることはできません。
すなわち、病の床から見える世界が子規にとっての全てなのです。
僕なら、絶望して何もする気にもなりません。
しかし、子規はそれでも創作活動を続け、やがて彼の生みだした作品の数々は近代文学に新たな方向性をもたらすことになりました。

子規をそこまで突き動かしたものとは一体何だったのか。
もちろん、「ただの趣味だったからじゃない?」という意見もあるでしょう。
しかし、僕はそれには賛成できないのです。
というのも、この時代、こういった異常さや狂気が当時の人間の中に存在していたからです。
例えば、夏目漱石。
彼も血を吐きながらも創作活動を続けました。
漱石の体調が悪化した時期に書かれた後期三部作『彼岸過迄』、『行人』、『こころ』は、どれも人間のエゴイズムや倫理観の葛藤が描かれた名作です。
もし未完に終わった『明暗』が完成していたなら、漱石はドストエフスキーを超えたといわれるほどの名声を得るに至りました。
この漱石の狂気じみた努力を支えたものとは、おそらく使命感のようなものではないのでしょうか。
そして、子規を突き動かしていたものも、漱石と同じく、使命感にあったと思います。

明治という時代は異質の価値観が日本に移入された時代でした。
開国以後、西欧の価値観が日本に入り込み、それが日本人に多大な影響を及ぼしました。
異質な存在に触れた日本人は、大きく揺れます。
西欧文学の影響を受け、文学の新たな形である小説を日本に持ち込むことで、近代日本文学を切り開いた坪内逍遥。
イギリスで個人主義と出会い、衝撃を受け、神経衰弱に陥る漱石。
このように、異質との接触で、日本は大きく変容しようとしていました。
そして、このような変容の時代というのは、方向性を模索する時期でもあります。
この時期の人々が、いかなる方向性を確立するかによって、その後の国の在り方が決まってしまうものです。
それゆえに、この時代の人々はどんなに苦しんででも、何かを残そうとした。
西欧に政治的にも文化的にも植民地化されないためにも、何かを創造しなければならないという使命感を持っていた。
だから漱石や子規はどれだけ苦しんででも、何かを創ろうとした。

子規は、捨て身で創作を続け、俳句における新たな方向性を後世に残しました。
子規の追いかけた坂の上の雲、それは高浜虚子や河東碧梧桐に受け継がれ、現代に至るまで偉大な作家の一人として数えられています。

こういった、子規の捨て身の生き様に強く魅かれるため、僕は子規が好きなのです。


坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
(1999/01)
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日曜ごろまでには今日受けたテストセンターの感想でも書いてみようと思います。
先に結論だけを述べると、下の本の問題をスピーディーに解けるようにしておけば何も心配いりません。

直前でもOK! [パソコン版SPI2] これが本当のテストセンターだ! 2011年度版直前でもOK! [パソコン版SPI2] これが本当のテストセンターだ! 2011年度版
(2009/06/02)
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