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踊る悪魔
どうも何年も前から日本人による無慈悲な殺人数が増加傾向にあるらしい。
犯罪数全体では減少傾向にあるものの、例えば子どもによる連続殺人など、非道徳的な事件自体は増えている模様。それは一体なぜか。

一般的に、人々の行動を規制する要素としては、倫理と道徳がある。

倫理は宗教によって与えられるものと定義する。例えばキリスト教徒であれば、キリストの言葉や聖書の言葉が行動の指針である。キリストの言葉に従うことで神の国に入ることが出来るため、教徒は隣人愛や貧しい者への施しなどを実践する。キリスト教徒としてあるまじき行いは悔い改めることが求められる。

道徳は共同体の規律によって与えられるものと定義する。日本であれば、村社会という共同体が道徳の基盤になっていた。非道徳的な行為をすると、村社会から除外され(村八分)、その人の社会生活が困難になる。そのため、人々は道徳を守るために細心の注意を払う。

日本では昔から仏教が広く信仰されていたが、諸外国と比べると、宗教意識はそれほど強くない。そのことは多くの論者が述べており、日本は無宗教の国だという人もいる(遠藤周作は『海と毒薬』で日本人とアメリカ人の倫理観の違いによるものの感じ方の違いを描いている)。その一方で、共同体の規律は大きな存在感を持っていた。自分の村の人間と対立することを避け、村全体での結束を強く持っていた(その代わり、村同士の争いは激しいものもあった)。それゆえに共同体の規律としての道徳が日本では昔から深く根付いており、それが人の行動を規制していた。つまり、日本では倫理よりも道徳が深く根付いていたのである。

しかし、戦後それが大きく変わった。
日本が高度成長期に入り、団地ブームが訪れると、日本社会に核家族化の波が押し寄せてきた。それに伴い、それまでの村という共同体は解体されていき、若い人々は核家族として都市に移り住むようになった。

すると、どうであろう。
これまで日本人を規律付けてきた道徳は、団地ブームという共同体解体の流れに飲まれ、失われてしまった。日本には、人間の行動を規制する道徳はあっても、宗教意識の薄い日本では倫理がない。そのような国で、道徳の土台であった共同体が失われてしまっては、倫理も道徳もない国民が生まれてしまうことになる。そうした国では強い自分を持っている人間しか(ある意味、自分という宗教に洗脳されている人)、自分の行動を規制することが出来なくなってしまうのである。そのことが無慈悲な殺人を生んでいると考える。

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