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先人の、止められない創造
創造とは、魔力である。

歴史上、数多くの人間が創造の魔力に取りつかれて来た。その中でも、漱石、子規、彼らはCreaterと呼ぶにふさわしい。Createrである彼らの共通点は、狂気にある。狂気とは、創造と言う病によって引き起こされる症状の代表といえる。飽くなき創造性の追究を志す人を見て、人は彼らの取組を、狂気の沙汰と定義づけるのである。

漱石は、病に伏せながらも、血を吐きながらも、自身の理想とする世界観の確立を目指した。修善寺の大患ともいわれている。病との壮絶な闘いを繰り広げながら、小説を書き、血を吐いて、血を吐いて、それでも創作への意欲はすてなかった。その末にたどりついた心境が則天去私である。不幸にも、『明暗』は完成までには至らなかった。これが完成していたら、ドストエフスキーを超えたともいわれている。

子規は、結核を抱えながらも創作を続けた。体に穴が開き、病床から一歩も動けない状態になりながらも、歌を詠み続けた。身動きが取れなかったため、病床から見える世界を微細に表現しつづけた。その末に、彼は日本文学において、写生主義を生み出し、根付かせたのである。

彼らの共通点は、創造への好奇心・使命感に駆り立てられ、自身の美学の具現化を追い求めていたことにある。すなわち、狂気だ。身体の病気などは、創造を停止させることの理由にはならなかった。周囲の反対に聞く耳を持たず、自分の美学・理想を追い求め、ついに完成に近づくその瞬間、その生涯を終えるのである。

彼らは想像という魔力に取り付かれたのである。

そういう姿には、どこか魅かれるところがある。

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