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記号論理で経営学
以前、記号論理学と経営学をまたいだ学際研究がなされていることを知り、気になったので、調べてみた。

記号論理学で経営学的主張を形式化して、その意味を明確化するという研究が進んでいるようだ。
例えば、
「管理者は部下の倍働くべきだ、と考えるべきだ」は、
A(x,y)⇔df(xはyの管理者である)
B(x,y)⇔df(xはyの倍働くべきだ)
T(x,y)⇔df(xはyと考えるべきだ)
とすれば、
∀x∀y[A(x,y)⇒T(x,B(x,y))]
と表現することができるとのこと。
(出所:「種々の経営学的な主張を記号論理により形式化してその意味を明確にすること」)
こうすることで、それぞれの意味するところを細かく分析し、誰もが同意できるような形でその主張の賛否を問うことができるようにするのが目的のようだ。
上の例だと、かなり単純な例なので、ただ難しく表現しているだけじゃん、と思ってしまいそうだが、命題がもっと複雑でこみいってくると、かえって記号論理で表現された方が理解が進むこともあるのだろう。
それと、命題や主張から曖昧さ・矛盾が排除されるという効果がやはり大きいだろう。たとえば自分の論文の主張を記号論理で表現してみたら、論理展開ができなくて初めて自分の主張の矛盾に気付いたり、なんてことがあるやもしれない。とすると、結構これって便利じゃね?ちょっと記号論理でも勉強してみようかと思います。

思考のパースペクティブは変化する
久しぶりに、『創造的論文の書き方』を読んだ。

本棚にふと目をやったら、たまたま目に付いたので、引っ張り出して、読んでみたのである。前に読んだときと比べると、ずいぶん違う印象を受けた。

特に印象に残ったのは、何が原点なのかの不動点についての話である(P.34)。

D「ある点から始まった議論とかデータが積み重なっていくうちに、いつの間にか不動点のはずの点が移っていて、すごいバランスの悪いところにどっさりデータがあって、気が付いたらすごいことになっていたということが結構あるのです」
伊丹「みんなそうですよ。ほとんどの人がそうなるよ。私たち教師の仕事は、変なところでブドウの房がぶら下がり始めた人に、「そのブドウを食べるか捨てるかどちらかにして、まず房の数を減らせ。お前がやりたいのは本当はこっちの房じゃなかったのか」と言ってあげるという、そういう仕事なんだよね」

(太線は筆者)

最近の自分の実情と重なっていたために、理解は非常に容易であった。
以前に読んだときは「へぇ、そんなものかね」と思って軽く読み飛ばしていた。しかし、自分がいざ、この本に書かれているような落とし穴にはまると、もう、ヒトゴトではない。ゥンゥン、とうなりながら読んでしまうのである。

思えば僕の研究は、データがかなりトイレ掃除に偏っていた。まるで、掃除をするだけで組織変革が起こる!というような論調になってしまっていた。不動点が組織変革からトイレ掃除に移動して、なおかつ、無理に変革と結び付けようとしたため、全体として、いびつな内容になり始めていたのであると思う。もちろん掃除活動を始めとする5Sも変革において寄与はあったと今でも考えているし、それは必ず内容に反映させようと思っている。しかし、それが全てではないのである。実際、組織構造上の変化もあったのに、そっちのけにして、トイレ、トイレ、トイレ。組織構造の変化が変革において重要な、いや、主要な役割を果たすのは、先行研究にもあることにもかかわらず、そこが盲点となってしまっていたのである。こういった落とし穴にはまらないように注意していたつもりであったのだが、気付いたら変革全体についての議論を忘れ、掃除についての議論にばかり時間を割いていた。


伊丹敬之はそうしたことに対して、「みんなそうですよ。ほとんどの人がそうなるよ」と語る。こうしたことは、万人共通なのかもしれない。


おそらく、この本を前回に読んだときには、まだものの見方考え方がついていなかったのであろう。もちろん、今はもうついたというわけでは決してないし、まだまだ足りないところが山積している。しかし、以前に読んだときに比べると、見方考え方にある程度の変化が起きていることは少なくとも確かであると思いたいし、それゆえに、本の印象に残る部分にも変化が起きたのだと思う。いわゆる思考のパースペクティブが変化したのであると思いたい。

わかっている、と思っているところに、案外、盲点が数多く存在するのかもしれない。そういう意味で、まだまだ修行が足りません。

創造的論文の書き方創造的論文の書き方
(2001/12)
伊丹 敬之

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5Sと、組織のパラダイム
ここ1週間、卒論の一環として、5Sと組織のパラダイムの関係性を調べていました。それゆえにブログの記事が疎かになったのであって、決してサボっていたわけではないのです(汗)。その言い訳として、この記事を書いておくことにしました。この1週間、何もせず引きこもっていたわけでは断じてないのである。

で、5Sについてですが、5Sの直接的効果については昔から論じられてきました。古くはテイラーの『科学的管理法』やドラッカーの『現代の経営』、最近ではそこら中に5Sの重要性を説いた本が出回っています。しかし、これらはどれも、整理整頓などをすることで効率的な業務・生産が可能になるという、5Sを実行することによる目に見える効果についてかかれたものでした。

今回論証したいことは、そういった直接的効果ではなく、間接的効果についてなのです。具体的には、5Sを実行することによりいかなる精神が宿るのか。加護野忠男の言葉を借りれば、5Sによって組織にはいかなる市民精神が宿るのか、ということです。

日本電産では、買収先の企業に対して3Q6S(5Sに作法を加えたもの。6Sを徹底することで、社員・会社・製品のクオリティを高めるという意味)を導入したり、1円以上の経費はトップ決裁といったことを強要しました。買収先の企業に対して行ったことは、端的にいうとこれだけ。しかも、買収先企業は1,2年の短期で様変わりする。たぶん、これで上手くいく理由は、こういったことを徹底することによる副次的効果があり、それによって組織で共有されているパラダイムに変化が起こるからであるのではないだろうか。そういう意味で、日本電産を事例にとりあげることは、5Sと組織のパラダイムの関係性を調べる上で、格好のケースではないでしょうか(買収先企業の経営陣を日本電産社員で埋め尽くすということはしないという意味で、変革における変数が少ない)。

僕が調べたいのは、5S活動が組織のパラダイムとどのような関係にあるのか、ということ。もっと具体的にいうと、5Sの一つであるしつけが、組織の人・パラダイムにもたらす経営学的意義。なぜしつけを強調するのかというと、高木裕宜によると、5Sの中でもしつけは他の4Sをコントロールする存在であり、他の4Sを実践するための規律・クセづけとして、しつけがあるようです。しつけが5Sの中心的存在であるのです。つまり、5Sの、それもしつけについて、パラダイムに及ぼす影響を調べていけば、何らかのインプリケーションが得られるのではないか。

さて、そうして調べようとしてみたのですが、この研究は先行研究が少ない(さっきも言ったように、5Sの経営学的意義としての間接効果を論じたものは少ない)ので、巨人の肩の上に乗るということができません。少ない中でも、参考になるのは大森信のトイレ掃除についての論文。トイレ掃除を通じて組織に宿る市民精神を論じたもの。この論文ではアンケート調査を元に、5S活動の一環として行われたトイレ掃除の経営学的意義を考察しています。でも、僕はもっと良い形での論証の仕方があるのではないかと思うのです。

確かに経営学の論文では、しつけや整理整頓など5Sの間接効果を論じたものは少ない。ですが、他の学問では、こういったことの効用は論じられていると思うのです。日本では昔からしつけに対しては、企業に限らずあらゆる場で、意識的に行われてきました。それについて、誰かしら興味をもって研究している人くらいはいるのではないか。

ということで、他の学問領域からしつけの効用について論じた文献を援用し、それをベースに、僕なりの論理を構築していくことで、5Sとパラダイムの関係性を論じることにしました。

5S活動を意識的に行っている組織はどこだろうか、と考えたとき、真っ先に思いついたのが小学校です。小学校では、5Sとは言っていませんが、それに近いことははるか昔から行われていました。清掃・整理・整頓・清潔・しつけ、これらは全て教育の一環として、小学校では指導されてきました。ということは、教育学の文献を調べれば、5S活動が人の価値観や行動規範に及ぼす影響が何か分かるのではないかと思い、図書館で教育関連の本を探してみました。すると、結構良い感じの資料がありました。調べてみると、そうしたことは、教育社会学という学問で研究されているらしい。これを調べて、経営学にも応用できそうならやってみようと思いました。教育社会学の知見では、しつけをする存在を社会化エージェントと呼び(子どもにとっては教師や親がこれに当たる)、社会化エージェントが子どもに対して、社会におけるイデオロギー・思想を植え付け、それが結果として社会統制になっているとのこと。

ちょっと長くなりました。書いていて疲れました。ここから先はまだまとまっていないので、今晩落ち着いて考えてから、また明日書くことにします。それに、月曜の面接の準備もしなければならないので(←言い訳臭がプンプンする)。でも、だいぶ明るい道筋が見えてきています。

I'm starting to see some kinds of hope.



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