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無知の知
人間は世の中のすべてを知ることは出来ない。
たとえどんなに勉強しても世界のすべてを知ることは出来ないのだから、
勉強する人間は謙虚でなければならない。大学などで高等教育を受けると、
世界の見え方が変わってくる感覚が生じてくる。その感覚がとても面白くて
忘れられないため、もっと勉強する。するとまた世界の見え方が変わる。
こうして勉強を続けていくと、何だか、何でも知っているような気がしてきて
自分の中に傲慢な気持ちが芽生えてくる。でも、それじゃあだめなんだ、
とソクラテスは言う。

ソクラテスが無知の知を唱えた背景にはおそらく傲慢な知識人が世の中に
溢れていたことがあったのかもしれない。こんなに勉強した、だから
そうじゃない人より偉いなんて考えるのは愚かだ、知らないから勉強するんだ、
真実への未知は自分は無知だということを自覚するところからはじまるんだ、
そうソクラテスは言いたかったのかもしれない。

そういう意味で、勉強量と謙虚さは正比例で無ければならない。傲慢な思い上がりは、
周りの人にとっても迷惑である。だから、もっと謙虚さを身に付けようと思う。

なお、人によっては、何を血迷ったか、知らないことを偉そうに知らないと言う人もいる。
そうして、「どうせ周りの人間も知らないだろう」
などと無理な一般化をし始めるのである。
世の中色々である。

ウェイなき者はみな滅ぶ
ソニー停滞の原因を、経営の精神の観点から掘り下げてみる。
下に経営の精神についてかんたんにまとめておく。

市民精神:勤勉、従順など社会の秩序を尊重しそれに順応しようとする精神
企業精神:創造的破壊、情熱など既存の秩序を超克しようとする精神
営利精神:抽象的な利益にこだわり、そのために合理的判断を働かせようとする精神
この3つの精神のダイナミズムで資本主義の企業は成り立つ。

ソニーでVAIOやスゴ録を手がけた辻野晃一郎(以下の書籍の著者)の行動を見てみると、将来価値に重きを置いた製品展開をしていることがわかる。例えば当時のソニーの新しいテレビとして、辻野氏はコクーンの開発に着手した。そのときに重視していたのが、将来の家電の方向性についての議論であった。つまり、開発の段階で、何を出せば売れるのかを議論するのではなく、今の家電を将来どう変えていきたいのか、そしてその将来像に向けた第一歩としてどのような製品を開発すればよいのか、そうしたことの議論に時間を割いていたのである。そうしたことを当然のこととして行い、辻野氏は大ヒット商品を次々と生み出していった。

ところが辻野氏は、意外にも、次々と異動を命じられることとなった。コクーンも潰され、スゴ録も担当から外されたのである。異動の理由も「上からの命令だから」で片付けられ、釈然としない形での異動であったようだ。

今のソニーの製品からは、辻野氏が手がけてきたような将来価値を生むものづくりが感じられない。今売れそうなものばかり単発的に生み、かつてのような新しいライフスタイルを提案するような商品開発が行われなくなってしまった。ソニーらしさとは、生活を一変させるような将来価値重視のものづくりにあったにもかかわらず、今では今売れそうなものばかりつくる現在価値重視のものづくりに変質してしまったのである。将来価値を重視する辻野氏がソニーを去ったのも、ソニーらしさを失ってしまったソニーに居づらさを感じたためであろう。皮肉にも、ソニーらしさを備えた人物がソニーから次々と去ってしまう結果となってしまっている(久多良木健や辻野晃一郎など)。なぜそうなったのか。

その原因は、企業精神が著しく劣化していることにある。ソニーでは辻野氏が事業展開する背後で、EVA経営やカンパニー制の導入などの変化があった。このことがかえって現場を混乱させ、短期的な利益を確保する方向に舵を取ってしまった(なぜEVAやカンパニー制が短期的な利益確保に結びつくのかについては様々なブログで論じられているのでここでは省く)。こうした変化によって、ソニーのものづくりが短期志向になり、将来価値重視のものづくりが失われたのであろう。そうしてその結果、ソニーからソニーらしさを備えた人物が去っていってしまった。

こうなると、ソニーの企業精神を滋養する人物がもういなくなってしまったことになる。それまでは例えば辻野氏がワクワクするようなものづくりを担っていたため、辻野氏を軸にして企業精神が社内で広く高められていた。ところがこうした人物がいなくなったら、はたして誰がソニーの企業精神を高めればよいのだろうか。誰がソニーの企業精神を次世代に継承すればよいのだろうか。そうした人物がいなくなってしまったことで、ソニーのカルチャーが変質し、企業精神が劣化してしまったのである。結果、昔のような需要を先取りするようなものづくりができなくなってしまった。こうなると、ソニーの理念は形骸化してしまう。企業精神を継ぐ者がいなくなり、「愉快ナル理想工場」はやがて忘れ去られていくだろう。

大前研一は、近年のソニーに対しては批判的である。特にトップマネジメントに対して否定的な意見を述べている。「ソニーのような会社では、井深大や盛田昭夫のようなソニースピリットを持った人物をトップに据えなければならない。ストリンガーではダメだ」というようなことを述べている。この意見は企業精神の劣化を指摘していることと同義だ。ソニーに限らず、アップル、グーグルのような新しさを創る企業は、その企業精神が特に生命線となる。その意味で、ソニー復活の鍵は、サムスンに学べとか日産の改革に学べとかではなくて、ソニーの企業精神を継ぐ者がトップやミドルに就いて企業精神を全社的に広めることにあるのだろう。

(以下の本はとても面白いので、セットで読んでみると良いかも知れません)。


グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれたグーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた
(2010/11/22)
辻野晃一郎

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経営の精神 ~我々が捨ててしまったものは何か~経営の精神 ~我々が捨ててしまったものは何か~
(2010/03/20)
加護野 忠男

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グランド・セオリーと学際研究
昔、日本にはどんな内容の話題でも絶対に議論に負けない学者が数多くいたそうだ。大塚久雄、丸山真男、川島武宣など。

彼らはなぜそれほどまでに議論に強かったのか。

その理由は、宮台真司によると、理論学習の方法にある。
昔は大学生の頃からケインズやマルクスの理論を徹底して学習することが当然であった。立派な理論を勉強していたから彼らは議論に強かった、と言いたいのではない。ここで言いたいことは、あらゆる学問に当てはまるような理論(グランド・セオリーまたは一般理論)を徹底的に学習していたから強かった、ということである。となると、そういう人たちは話をするとき、どのような話題でも(社会についてでも、経済についてでも、技術についてでも、家族についででも、性についてでも)、一貫した理論的バックボーンを持った状態で議論していることになる。それゆえ、たとえ経済学者であっても、宗教の話題について宗教学者との議論が成り立つという状況があった。「それはぼくのせんもんじゃないからわかりませーん」などという人はいなかったのである。
参考URL:グランドセオリーとはなんぞや? http://www.miyadai.com/texts/virtual/01.php

翻って現代を見ると、かねてから指摘されているように、学問は専門分化が進み、自分の専門以外の話題でも議論のできる学者は減っている。このことは、グランド・セオリーの研究が疎かになり、あらゆる分野を統合するような理論が生まれていないためであると考える。学問の専門分化が進めば進むほど、自分の研究したい分野の勉強をするときには細分化した理論(いわば、マニアな理論)の勉強に時間を割かねばならない。そうなると、時間の都合上、分化した理論の土台となっているグランド・セオリーの学習がどうしても手薄になってしまうのである。まして、専門分化がどんどん進んでいるのなら、なおさら細分化した理論の学習に時間をとられることになる。そうして、グランド・セオリーの学習が疎かな学者が生まれる。そうした学者に育てられる学生は、グランド・セオリーの学習が手薄になっている教官から教わることになるため、そうした学生もまたグランド・セオリーの学習が手薄になる。こうして新たにグランド・セオリーが手薄が学者が世に輩出されることになるのである。そこには極めて深刻な負のスパイラルが存在する。

もう何年も前から、こうした専門分化の進んだ状況を反省する動きが存在する。いわゆる学際研究である。こうした分化から統合への流れ自体は現在でもあるのである。しかし、にもかかわらず、近年に新たなグランド・セオリーが生まれたという話はあまり聞かない。学際研究自体は数多くあるものの、うまくいっているものは極めて稀なのであろう(ウォーラーステインの世界システム論は近年生まれた理論の中でも数少ない成功したグランド・セオリーと言えるかもしれない)。

学際研究の成功例が少ないのは、その教育方法に大きな問題があるためと考える。例えば経営情報学を研究するとなったとき、学生はまず経営と情報を勉強させられる。これは順序としては大きな誤りである。学際を研究するとき、まず、あらゆる学問の土台となっているグランド・セオリーの勉強から始めなければならない(その理由はこれまで述べてきたとおりである)。まずは、視野を広く持つ訓練をして、その上で、経営と情報の勉強をして、初めて学際研究が始まるのである。ただ、これには極めて長い時間がかかる。おそらく大学の4年間(場合によっては6年間)はわき目も振らず勉強しなければ成り立たないようなカリキュラムになるだろう。しかし、結局、学際とはそういうものなのである。学際研究で優れた理論を構築するというのは、内容如何によっては、新たにグランド・セオリーを構築するということでもある。相当な時間と覚悟が必要である。そして、そうしたきわめて長い時間を費やして若者を教育するような機関は今の日本にはまずない。だから、気付いた人が自分ひとりででもグランド・セオリーの訓練からやるしかないのである。

船井電機
船井電機、すごい会社だ。

船井電機は主にテレビやDVDプレイヤーなどを製造して、2500億円程度の売上を上げている。しかし、日本でこのメーカーのことを知っている人は、おそらく多くないだろう。それもそのはず、このメーカーは主に北米市場をターゲットとしており、売上高海外比率は90%を超えているのである。北米市場における液晶テレビのシェアは、現在第二位。1位のサムスンを追いかけている格好だ。つまり、ソニーやパナソニックなどの日系大手メーカーであっても、北米では船井電機には敵わないということである。

では、どうやって北米で成功したのか。その秘密はウォルマートとのつながりにある。船井電機はウォルマートにテレビやDVDプレイヤーをOEM供給して、ウォルマートブランドで製品を販売するところから北米市場に切り込んだ。そこから徐々に認知度を高めていき、その上でフナイブランドでの販売に着手したという。そのため、現在ではパナソニックを超え、ソニー・サムスンに匹敵するくらいのブランド価値をもつといわれている(こうした国際化戦略は研究の価値有?それとも既に研究済み?)。海外のテレビ市場で、ソニー・サムスンに匹敵するブランド価値をもつというのが尋常なことではないことは、想像するに難しくない。ちなみに、船井電機はメジャーリーグのボストンレッドソックスとパートナーシップ契約を結んでいる。そのため、レッドソックスの日本人インタビュールームの背景板にFUNAIロゴとレッドソックスのロゴを並列表記できるのである。これは現在に至るまで船井電機の一社独占契約となっている。こうしたことが、船井電機のブランド認知度アップにつながっている(もっとも、一社独占契約ができること自体が船井のブランド力の高さを物語っているといえるかもしれない)。

船井電機はウォルマートから非常に高く評価されている。ウォルマートには、毎年、最も貢献度の高かったサプライヤーを表彰する制度があるのだが、船井電機はそれに何度も表彰されている。ウォルマートの全サプライヤー61000社のナンバーワンである。そう簡単にできることではない。

なぜ船井電機がこれほどまでに評価されるのか。それはトヨタ生産方式を船井電機流に改良した船井生産方式によるところが大きい。この生産方式によって、低価格・高品質な製品を市場に供給することができているのだそうだ(価格はソニー製の3割引程度)。この生産方式の詳細は不明(研究の価値有?)。

ただ、近年では、サムスンに押されている。それもそのはず、低価格帯となるとサムスンとポジションがかぶるためだ。市場シェアでも現在はサムスンに抜かれている(とはいえ日本企業の中ではソニーとともに(ソニー以上に)韓国企業と張り合うことができている)。


(研究するとしたら、切り口は国際化戦略と船井生産方式の二通りくらいか)

百面相の秘密
赤ちゃんは百面相だ。
一日の間に非常にたくさんの表情をする。笑ったと思えば泣き、泣いたと思えば怒る。次から次へと表情を変え、それはしばしば周囲を驚かせ、困惑させ、楽しませる。それにしても、なぜここまで表情を変えるのだろうか。

それはおそらく、赤ちゃんが言語をもたないからであるだろう。
自分の中で、ある感情が発露しても、それを相手に伝えるための言葉を持っていない。つまり、言語による伝達ができない。そのため、赤ちゃんが編み出した伝達手法が表情なのだろう。赤ちゃんは絶えざる試行錯誤の末に、伝えたいイメージを相手(主に親)に伝えるための最も効果的な方法が、表情による喜怒哀楽の表現であることを察する。ただ、表情で表現できることはせいぜい喜怒哀楽に限られている。「ちょっとミルクを飲み過ぎたんだけど、吐きそうってほど飲み過ぎてはいない。ただ、ちょっと気持ち悪い」という心情を、果たして表情だけで表現することなどできるだろうか。そういうわけで、親は、赤ちゃんの心情を細やかに察することができず、赤ちゃんをどうあやしていいかわからない状況にしばしば陥る。

今書いたことを構造として説明する。
人は誰しも(あるいは人である必要もないかもしれない)、外部環境からの影響を受けると、何らかの感情を発露する。成熟した人であれば、その感情を言葉で表現する。しかし、赤ちゃんのように未成熟である場合、言葉が使えないため、いわば「感情イメージの言語化装置」を持っていない。イメージを持っていてもそれを言葉に変えることができないのである。だから、苦肉の策として、赤ちゃんは表情を百面相にすることで、自分の意思表示をする。

このことは、あまり話のうまくない人の構造にも応用できる。
話のうまくない人は、自分の感情や経験をとっさにうまく言葉へと変換することができない。つまり「感情イメージの言語化装置」の機能が低いのである。そのため、この装置に感情や経験が入力されても、処理速度や記憶容量(ここでは語彙など)の問題で、即座に言葉を作ることができない。もしくは、言葉にできても、それを理路整然と表現することができない。それゆえに、そういう人を外から見ていると、なんだか、ドギマギしていたり、ソワソワしていて、うまく話せない人だという印象を受ける。

こういう人への対処方法を考えた。

要するに、言語化装置を強化すればよいのだ。

まず、とっさにうまく言葉が出てこない人の対処方法。この問題の根幹は、記憶容量の少なさと処理速度の遅さにある。なので、対処策は、語彙を増やすことと、処理速度を上げる(つまり、場数を踏んで、言語への変換速度を上げること)ことが挙げられる。

では、理路整然と表現することができない人への対処法はどうするか。問題の根幹の一つは処理速度の遅さにあるという意味では、対処方法は言葉が出てこない人と同一といってもいい。しかし、理路整然と表現することのできない人というのは、その人が抱える根本的な問題として、説明のフレームワークを持たないという問題があるだろう。文章を書くときでもそうだ。文章の下手な人というのは、そのほとんどが、文章の論理性の無さにある。それゆえに『ロジカル・ライティング』や『文章構成法』などの本が売れるのだろう。理路整然と話すことと、理路整然と書くこと、これらに求められる能力は似ている。わかりやすく書く(話す)ための構成方法であり、フレームワークだ。だったら、こういった本で示されているフレームワークを言語化装置に組み込めば、その人は理路整然とものを言えるようになるのではないか。
理路整然と話せないのは、その人にわかりやすく話すためのフレームワークがないのと同義だ。そんな人は、いわば、倉庫はあるのに生産ラインが存在しない工場のようなものだ。生産する術をもたないのである。それゆえに、「出力せよ」と命令されたら、倉庫にあるものを次から次へと放り投げることで何とか済まそうとしてしまう。理路整然と話せない人の構造とはそんなものだろう。なので、そういう人への解決策としては生産ラインたるフレームワーク、つまり、わかりやすく話すための構成を頭に叩き込むことが一番なのだと思う。そうしてそのフレームワークを何度も使って、自分のものにし、処理速度を上げれば、この問題は解決できるのである。



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