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1Q84読書中
1Q84を隙間時間で読書中。

うん。
面白い。
どう面白いかって?
それは、読み終わったらまとめて書きます。
だから、ちょっと待ってっちょ。

今日は眠いので、記事はこれくらいで勘弁してっちょ。
zzz

1Q84到着
Amazonで予約していた1Q84 BOOK3が届きました。

BOOK1,BOOK2を読み終えたとき、まさかBOOK3が出るとは思いもしませんでしたが、
BOOK1,BOOK2という形で出版している時点で、続編の登場を匂わせていたのかもしれませんね。
もし2冊で完結させる予定なら、『海辺のカフカ』や『羊をめぐる冒険』みたいに上下巻という
出し方をするはず。
BOOK1,BOOK2という名称であった時点で、「この2冊では完結しないよ」というメッセージに気づくべきであったかもしれません。実際、『ねじまき鳥クロニクル』も第1部、第2部と出した後に第3部が出版されてますもんね。

ま、せっかくBOOK1,BOOK2を読んだのだから、BOOK3も読んでやることにしますかな。フフッ。


この本はなかなかの社会現象になっていますが、こういう社会現象なら大歓迎でしょう。
わけのわからん納豆ダイエットやキャベツダイエットが社会現象になるよりも、よっぽど健全。

でも、なぜここまで社会現象になったのだろう。
海外で大ヒットしているのは、別に1Q84に限った話ではありません。
昔からです。
村上春樹に関しては、海外での売上の方が大きく、海外でのヒットについてはいつものことなので、特に驚く理由は無い。
それ以上に不思議なのは、なぜ日本でここまで大ヒットしたのかということ。
日本でも売れるには売れていたけれども、ここまで売れたのは初めて。
なぜ?

メディアが煽っているというのも、少なからずはあるとは思う。
でも、それが主因とは思えない。
メディアが1Q84をこぞって取り上げたのは、この本が猛烈に売れた後のことだもの。
煽ったことで売れたと考えるなら、発売前から相当煽っていなければおかしい。
でも、実際、発売前から猛烈に煽っていたという印象はない。

ネットで調べてみると、新潮社のマーケティングの上手さ、というのがあった。
確かに、発売前は本の内容を一切教えず、ミステリアスでブラックボックスに包まれている感じを醸し出すという手法も、大ヒットにある程度作用しているとは思う。
でも、それにしては売れすぎ。
例えば、村上龍で同じ事をやったら、同じ結果になったかというと疑問。
そんなことで大ヒットが生まれるなら、出版社も作家も苦労しない。

じゃあ、主因は何なのか。
まず、1Q84が出版された時の背景から考えることにする。
ここ数年、ケータイ小説やネット小説が結構ヒットしていますよね。
そうしたことから、文学に注目が集まる、という現象が観察されていました。
例えば、古典新訳ブームもその一例。
ケータイ小説やネット小説を見た人の中に、「もっと深い小説を読みたい!」という人が現れ、そういう人たちがドストエフスキーやラディゲを読むようになった。
それも、読者の多くが若者。
ケータイやネットという意外な形で、小説を知り、それにハマり、文学青年が生まれるようになったのかな、なんて思っています。
実際、最近多いらしいですよ、文学新人賞に応募する若者が。
文学賞に応募する人のうち、10~20代の若者の割合が非常に増えているそうです。
それも、ケータイ小説やネット小説の普及と連動して。
ネットやケータイで小説を公表し、腕を磨いてから、応募する、というケースが多いみたい。

ただ、ここで注意しなければならないのは、若者全員が小説に凝り始めているわけではないということ。
若者の間で熱心な愛好家層が増加傾向にあるという意味で、若者全員が愛好家というわけではないということです。
つまり、二極化。

そうした背景があって、小説に注目が集まり始めた。
そんな折、現役作家でも最高峰に位置している村上春樹が新刊を出すことが世間に公表された。
彼は最近、ノーベル文学賞にノミネートされるなど、現役日本人作家の中で、最もノーベル賞に近い人として、なかなか注目が集まっていた。

以上のことを総括して考えると、
ケータイ小説を起点に、小説愛好家が増えていたこと(1Q84の読者には若者が多い)、新潮社のマーケティングが1Q84の注目度を高めたこと、村上春樹自身に注目が集まっていたこと、
これらの要素が複雑に絡まりあったため、今回のヒットが生まれたのではないだろうか。

仮説の積み重ねなので、かなりいい加減なところもありますが、実際こんな感じではないのでしょうかねぇ。
《追記》
BOOK3も売れまくってるそうです。
1Q84第3巻、一斉発売 若者が人気下支え
「1Q84」第3巻、初日に10万部増刷決定

1Q84 BOOK 31Q84 BOOK 3
(2010/04/16)
村上春樹

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心の琴線
ひょんなことから読むことになった『経営の精神』について書きます。

この本では、市民精神、営利精神、企業精神という3つの精神のダイナミズムが資本主義における企業経営を・・・。
なんていう、それらしいことを書こうと思ったのですが、止めます。
というのも、この本、一見するとビジネス書の趣きを呈していますが、読んでみると、どうもそうでもないらしい。

一口に本といっても、たくさんの種類があります。
ビジネス書、専門書、小説、物語、伝記、など様々です。
本の中には稀に、その時代を生きる人にの意欲を書き立て、その人の生きる力に訴えかけるような本も存在します。
『学問のすすめ』、『自助論』などがその典型。
こういった本は、著者の強い意志のせいか、巷に溢れる自己啓発の類とは一線を画した、極めてメッセージ性の強いものであります。
そして、この『経営の精神』はそうした類の本を目指して書かれているのでは無いか、と感じました。
著者のそうした意図が見え隠れしないでもないのです。

もちろん、ビジネス書としての効用もあります。
経営者やビジネスパーソンの中にはHow-To本としてコレを読み、有益な役立て方をする人もいるでしょう。
そもそもビジネス書の多くはそういった目的の本であり、読む人の生きる力に訴えるなんていうことが主題であることはめったに無いでしょう。

しかし、この著者は、読んだ感想だと、日本人の潜在能力に問いかけ、かつての気概はどこへいってしまったのかと訴えているように思えてなりません。
別に、直接的に叱咤激励が書かれているわけではありません。
ただ、この本は経営の精神の構図を明らかにし、日本企業が日本企業なりの立脚点を確立する方法論を書くことを通じて、読者の心に気概をもたらそうという意図が背後で見え隠れしてなりません。
あたかも企業経営という範疇を越えて、日本人全体に訴えかけているかのように。

えー、久しぶりに内容どうこうの問題よりも、人の気概に問いかけてくるような本を読んだので、そのことばかり書いてしまい、結局、この本の具体的な中身についてはほとんど書きませんでした。

何だか今日は疲れたので、この辺にしておきます。
今日のこのブログの記事を読み返してみたら、何だかいつも以上に深みがなかった(笑)。
たぶん、そのうち書き直しますね。
書評はやっぱり中身にもある程度触れておかないと、記事が薄っぺらくなるな。
当たり前か。

経営の精神 ~我々が捨ててしまったものは何か~経営の精神 ~我々が捨ててしまったものは何か~
(2010/03/20)
加護野 忠男

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時代の旗手
少し前に読んだ、石原慎太郎『弟』について書こうと思います。

『弟』は、石原裕次郎を石原慎太郎の視点から描いた作品で、
ミリオンセラーの大ヒットを記録した作品です。

この石原兄弟、まるで時代に求められていたかのような二人です。
戦後、日本が復興に向かって歩き始めた頃、石原裕次郎は喧嘩や
博打に明け暮れるという無軌道な生活をしていました。
こうした生活を石原慎太郎が『太陽の季節』などで
描き、戦後の新しい若者像を確立しました。

太陽族。

『太陽の季節』に描かれているような生き方をする若者を指して、このような表現が生まれました。
それだけ当時の若者が、石原慎太郎の描いた若者の生き方をしていたのだそうです。

時代の節目になると、若者の価値観を決定付けるような文学作品が、しばしば登場します。
太陽の季節、斜陽、ライ麦畑でつかまえて、など。
その中でも、石原慎太郎の描いた若者像の与えた影響は際立っています。
慎太郎の作品の映画化が石原裕次郎をデビューへと導き、石原裕次郎は日本中の人を惹きつけ、
昭和の太陽として昭和という時代を創っていきました。

まさに、慎太郎あっての裕次郎、裕次郎あっての慎太郎。

昭和の文化を創造していったこの二人は、まさしく時代の旗手と呼べる人間なのではないでしょうか。

弟 (幻冬舎文庫)弟 (幻冬舎文庫)
(1999/06)
石原 慎太郎

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綿矢りさの言語感覚
綿矢りさ、史上最年少で芥川新人賞を受賞した人です。

そのときの受賞作が短編小説『蹴りたい背中』。

で、これが抜群に良い。

何が良いかっていうと、文章能力の高さでしょう。
彼女の、五感を駆使した表現力と文章のリズムがずば抜けているんですよ。
例えば『蹴りたい背中』の冒頭。
 

さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。葉緑体?オオカナダモ?ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。


『蹴りたい背中』P.7からの引用

彼女の文章には独特のリズムがあります。
読んでいて、心地よく、リズミカルに進んでいきます。
文体も今時の若者の書く文章になっている。
でも、それでいて悪い感じがしない。
これはきっと、相当に言葉を選ぶ能力に長けているからだと思う。
やみくもになれない言葉を使ったり、比喩を多用した文章って、どこかその言葉が浮いている感じになっちゃうけれど、
この人の場合は高い言語感覚が、そうならないようにしている。

新鮮。



そして、彼女の表現力の高さ。
冒頭の「さびしさは鳴る。」。
主人公はクラスの中で孤独を感じています。
教室の中で一人でいるときというのは、周囲のしゃべり声なんて、雑音です。
周囲のしゃべり声が雑音に聞こえてしまう、つまり、自分と周囲に友情なんてものはほとんどない。
だから、さびしい。
そのさびしさをかき消すかのように、主人公はプリントを千切る。
周囲で雑然と聞こえてくるさびしさから逃れるように、プリントを千切る。
こういった、教室内の独特の孤独感を見事に表現しています。
だから、すごい。

もう詳しいことは書きません。
僕が下手に書いても、かえってこの作品の価値を下げてしまいかねないので、
こればっかりは本を読んでみてください、としか言いようがありません。

蹴りたい背中 (河出文庫)蹴りたい背中 (河出文庫)
(2007/04/05)
綿矢 りさ

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